なんでも良しとしとくれよ。

そういうことです。

味方

いつだったか北海道の祖父に「死ぬの怖くないの?」と聞いたことがある。すでに80歳を越えていたと思う。「怖くないなぁ〜」と笑っていた。もう周りにいた人たちみんな死んでいるからという理由だった。

2月の下旬、祖父は入院した。私は電話が恥ずかしくて、3月の中旬、手紙を書いて地元の神社で買った病気平癒守りと一緒に送った。叔父の手に渡り、叔父から祖父の手に渡ったのは3月29日だったと思う。電話が来たので、家の電話から掛け直し、1時間くらい話をした。

お守り届いたよ、ありがとう、ベッドにある名札の横にぶら下げてるんだ、気にかけてくれる人がいるんだって、涙が出そうだった。たまにお守りを見るとぽろぽろと涙が出るんだ、ありがとうねぇ。と祖父は言っていた。

腎臓の病気は良くなってきており、体のむくみが取れ、歩いたり足をマッサージしたりして、余分な水分が抜けた頃、4月21日には退院するんだと言っていた。こっちはもう暖かくて桜が咲いてるよ、暑くなる前には会いに行くよと話をしていた。

4月13日、叔父さんから連絡が来て、祖父が肺炎になったと聞いた。肺は真っ白で、酸素吸入器で普通の人の4倍酸素を入れているのに、血中濃度が低すぎると叔父さんの奥さん(看護師)が言っていた。水の中で溺れているような感覚らしい。もしこのまま悪くなれば、連休前までもつかどうか分からないとお医者さんに言われてしまったみたいで、会うなら早いほうがいいかもと連絡をしてくれた。両親と私と姉は北海道へ行くことにした。

15日の様子を少しだけ動画で送ってくれて、みんなと話はできていた。ただ、コロナだからか、肺炎という病気の性質上か、祖父の容体があまりよくないのか、面会が許されない可能性が高いといわれてしまった。その場合はテレビ電話ができるらしい。

祖母には会える。祖母は痴呆が始まってしまい、私を覚えてくれているかは分からない。叔父にも大人になってから会った記憶がないし、最後に祖母にあったのはたしか5年前だと思う。

母の実家、この間まで祖父母がふたりで暮らしていた家は今誰も居ない状態で、取り壊すか人に譲るか考えなければいけないので(雪が降り積もると潰れるので、放って置けない)最後に行ける機会でもある。

 

 

昨日の夜から今日、祖父のことを思いながらぐずぐずと涙を流し、早く会いたいと気が急くのでゲームをしたり(ゲームしながらも泣いている)ぼんやりSNSを見たりしていたのだけど、ゲームは全クリしてしまい、SNSは虚しくなってやめた。昨日の昼、北海道へ行くことが決まる前に買っていたゲームはプレイする気が起きず、開封せずに棚に閉まった。

私にはなにもない。SNSを見ているときらびやかすぎて勘違いをする。目に入ったものが手に入るように感じるし、何か分かったような気になる。実際はそうではなくて、手に入れる努力すらしないものがほとんどなのに。物が溢れてる部屋を見渡して、たくさんの食べ物を食べ、こんなに必要ないなと思う。買ってみようかなと貰った高級なファンデーションのサンプルが急に褪せて見えた。32歳にもなって自立すらしていない、仕事も気まぐれ、的外れな人ばかり好きになってフラれてを繰り返す、子供の頃からまるで成長していない自分が恥ずかしくなった。私が世間から疎外感を感じ、鬱っぽく家に篭りがちだったころ、私を責めることなく「なにか考えがあるんだと思う」と唯一味方をしてくれた優しいおじいちゃんにあわせる顔があるのかなと考えた。全然ない。ないけど、会いたい。会いたい人と会う時、会いたいの気持ちだけで十分だとも思う。仕事はあまり忙しくないという話をしたら、「よく働くんだよ」と電話で祖父は言っていた。たくさん働こう。祖父と同じくらい穏やかで誠実な人と出会って大切にしたい。目標を持たないとだめだな。