4歳から田舎に住んでいます。茨城に住み、6歳から栃木に住んでいるので、今年で30年栃木から出ていません。
産まれは北海道の札幌ですが、4歳までの記憶と、たまに帰郷した時の記憶で補完している感覚です。北海道は大好き、私の性質に合っているなと感じることが多い。親の出身地なんだから、そりゃそうか。

本題ですが、最近ヤーレンズのラジオを聞いていたら「田舎を田舎だと言うのは良くない」という話が流れて来て。
田舎に住む私はこれがまったくピンとこず、なぜなのだろう?と疑問が浮かびAIに聞いてしまいました。発した本人は好意的な喜び、無邪気な感想であるものの、見下されていると感じる人がいるらしい。
個人的には自分が住む街を田舎だと思っているので、田舎だと言われたら「そうなんです〜」と言います。ただ、よそへ行って「田舎だなぁ」とは言いません。何もないことが当たり前の風景である自分にとっては、よそへ行ってもさほど感覚に変わりがないので。自分の住む街を田舎だと言われて、不快になる人の気持ちはなかなか理解しがたいかもと気付いた。
最近ちょっと私の中で大きかった話が、山口一郎さんとヤーレンズ楢原さんの話。
山口さんのラジオで山岡家というラーメン屋さんの話になりました。仕事帰り21時ごろ、車で千葉の田舎にある山岡家へ寄ったら、駐車場が車でパンパン、店内も満席で待つことに。なかなか呼ばれないなと思いつつ店内をチラッと見ると、食べ終わっても席を立たず喋ってる人たちが多く、駐車場も自撮りする若者たちがたくさん居て、みんななにをしてるんだ?と。待ってる人がいるのだから食べたらさっさと出てほしいし、駐車場で自撮りなんかしてどうするの?と半笑い。
食べたらさっさと出ろ、それは正論だと思う。でも、ここは千葉の田舎の山岡家なのです。
田舎には娯楽がありません。山岡家が立派な娯楽と化しているくらいに。24時間営業の場所が少ないから若者が店にたまる、山岡家で自撮りしてSNSにあげるのがちょっとした楽しみになる。
それを都会に住んでる人間がちょろっとやってきて食べ終わるまで2時間かかった!と文句を言い、「東京にも山岡家つくろう」と言い出す。そのがめつさ。なんでも欲しがってなんでもある街に住んでいるのに、それでもまだ欲しがるんだ、とドン引きしてしまって。
サカナクションの音楽を20年前から聞き、山口さんのYouTube配信を初期から見ていてもう4、5年?くらいになるのですが、はじめて発言に嫌悪感を抱いたなぁと思ったのです。人に対してそうなることがまずないので、私は彼の発言のどこに不快感を覚えたのか?と考えてモヤモヤする日々だった。
(その放送からかなり月日が経っているので、若干うろ覚えな話になっています。)
そこから時が経ち、最近ジェラードンかみちぃさんとヤーレンズ出井さんがやっているコーヒーチャンネルを見ていた時のこと。
かみちぃさんがお休みで楢原さんがゲストで出ており、新潟にあるコーヒー店へ訪れていました。
そのお店は置いてあるコーヒーを全種類試飲できる、かなり独特なフレーバーの多いコーヒー屋さんでした。コーヒーをワイングラスで提供するようなオシャレなお店。しかもCBTのチャンピオンが勤務していて、実際に接客、コーヒーを淹れてもらっていた。
そこで楢原さんが「新潟にあるのがすごいね。東京にはたまにこういう攻めたお店あるけど」「なんでもかんでも東京にいるってのは大間違いですよ(これは冗談としても受け取れますが)」と言ったのです。その言葉がなんとなく、とても良いな嬉しいなと心に刺さって、モヤっとしてたものが晴れた感覚になりました。
「東京なんて何もない街ですから」とたまに楢原さんが言うけれど、それをどういう意味で言っているのかはあまり詳しくは分かっていない。
若い頃は、東京に行くたびにかわいいものやキラキラしたものを目にしてドキドキしていたのですが、30代になって久しぶりに東京に行った時「なんにもないな」と思ったのです。
物質的には豊かなのに、不思議とそう感じた自分がいて、それからは目的がないと東京へは行かなくなりました。
この、自分が「なんにもない」と思った感覚は、街が変わったわけではなく、自分の感度が落ちただけなのかなぁと思ったりもしたのですが
実際に東京に今住んでいる人がそう言うのなら、私の感じ方も間違えてはいないのかもしれない、となんとなく後押しされた感覚で嬉しかったのかもしれません。
(元々わたしは『東京は遊ぶ場所、仕事をする場所であり、住む場所ではない。』と若い頃から思っていたタイプの人間なので、人様とはかなりズレているかもしれません)
田舎の美しさも人間の汚さも一通り見ているので郷土愛というものは正直そこまで濃くありませんが、田舎と都会のことをよく考えた10月だったなぁ。


