なんでも良しとしとくれよ。

そういうことです。

アイネクライネナハトムジークをみた話など

2019年9月に公開された映画。伊坂幸太郎さんの同名小説を今泉力哉監督が撮った作品です。119分。

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三浦春馬さん演じる佐藤と、多部未華子さん演じる紗季がふとしたきっかけで出会い、10年の時を過ごしてプロポーズする。周囲の人間のめぐり合いなども描かれている群像劇。

最初から最後までずっと優しくて、悪意への立ち向かい方もなんだか丁寧。人と出会う、その形なんてどうでもよくて、出会いや繋がりを運命に変える力、勇気を振り絞るタイミングとか、そういうものを大切に、みたいな話でした。

 

三浦春馬さんは私と同い年で子役の頃からテレビで見ていた存在。多部未華子さんは雑誌で見た写真が素敵で惚れた女優さん。『君に届け』の2人も好きです。漫画のイメージそのもの。

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映画鑑賞から離れていたので、へぇ、今度気分が合えば見よう、と思いながら過ごしていました。こんなきっかけで勢いづいて観ることになるとは思わなかった。同じ世界から消えてしまっても、こうやって読み込めば会える存在というものは、不思議ですね。

三浦さんがここまで不器用な男性を演じているのは初めて見たので、かなり新鮮。どこにでもいるような普通の男性。印象の強いキャラクターを演じたり、着飾る世界で働く人に対して、存在を知っている以上は多少先入観は持ってしまいがちですが『この人はこういう人だ』と思い込まないこと、そう思い込むことが相手を傷つけたり追い込むこともあるというのは忘れずにいたいな。芸能人じゃなくて、身のまわりで初対面の相手とかにも『こういう事言う人なんだ、じゃあこうなのかな』とか私は決めつけて考えがちなので良くない。

屈託のない笑顔がとても好きだったので、くちゃっとした笑顔が見れてとても嬉しかった。演技の笑顔の数より、本心から出る笑顔が多い人生を送っていたことを願うのでした。

 

映画内の話ではありませんが、人は五感で相手を信頼するそうです。SNSの発達で会話が出来るようになった今『つながった』と脳が錯覚するそうで、それだけでは信頼関係は得ていないのだと。心の機微を文章で読み合うとか、テレビ電話で声を聞いて見つめ合うとか、それだけでは難しく。相手の香りを嗅ぐ、同じ物を食べる、実際に肌に触れる、そういうものも合わせて重なって信頼関係は築かれていくという文献を読みました。たびたび私が『芸能人っていっても知らない人』と書くことがあったけれど、どうしてそう思うのか?と聞かれると上手く答えられないなと思っていました。おそらく無意識にそういう本能的な物を感じていたのが大きいかもしれないです。壁があるというより、単純で純粋なもの。

 

ここまで書いて、今Rさんのこの記事を読んで少し追記。https://ameblo.jp/rfujimoto/entry-12612353891.html

‪親に追い詰められた事や、自分が二十歳を迎えることすら想像できなかった事、それがすごく同じなのだけど、今をオマケ人生だと思えるのって凄く強いなぁと考えていた。少し前に別の女の子も同じ事を言っていたのを思い出した。

無力感、絶望感は私にとってはその時ずっと感じていたことに過ぎなくて、今は今としてしか見えないのです。自分が乗り越えたものはなくなってしまう感覚。終わった事は、消えてしまうというか。

ある程度の物は無かった事に出来るのですが、他の人よりその幅が広いのは感じています。平気、大丈夫、許せる、が多い。逆におもいきり傷付けられたりしたらかなり根に持つのですが「恨んでる人は?」と聞かれて浮かぶような人間もいないので、頭の中がお花畑なのかもしれません。w*1一度好きになった人は簡単には嫌いにならないのも、そういう所に通じてるのかな。

力一杯もがくという事をせず曖昧な抵抗をして、時間が過ぎるのを耐えて待ってたので『乗り越えた』と私は認めていないのかも知れません。そこら辺をもう少しのんきにやっていきたいな〜。長い!ねむい!おわり!

*1:親は許すとか許さないとか好きとか嫌いとかそういう位置に置けないタイプの人間。傷付けてきた人をまとめてポイ出来ない