なんでも良しとしとくれよ。

そういうことです。

諸説ありあり

大人になると感情の揺れ幅が小さくなると思っていました。思考の方向が固まっていき、経験則も生まれます。

何か出来事が起こった時、起きた事にすら気付かない状態では何の感情もわきませんが、次第に周りが見えてくると人間は怒りがわくように出来ています。より良い方法があるのにどうしてこの人はこう動くのかとか、これを言ったら傷つく人がいるのになぜ分からないのかとか、見える範囲が変わると持つ感情も変わって当然です。配慮をする対象も変わっていくものです。

起こった出来事に対処する術を知らない時、人間は怒りがわくと言われています。一度うまく処理することが出来れば、誰か他の人間が同じところで躓いた時、話を聞いただけで理解が出来ます。そこで躓いているならこうすれば良い、きっとこうなるよと導くことが出来るようになる。そこまでたどり着いてやっと心に自信と平穏が来るのだそうです。

 

元々「落ち着く」とか「ふんわりしてる」とか「卒がない」と言われることはありましたが、「芯がある」と言われたことはなかったと思います。それがここ半年くらいで少しずつ、本当に少しずつ変わってきた感覚があります。

好き嫌いが明確になってきて、他人の良い所を見て盗むようになりました。嫌いな所は視点を変え、逆に愛でるように。意見を聞いて擦り合わせる時、譲る事よりお互いにとって良いものを探すようになった気がします。本当に、わずかな事ですが…。

笑っていた時間より泣いている時間が多かった気がするので勿論楽な事ではないのですが、こういう事を避けたりやめてしまうと、私の場合は、自分が変われないのです。

元々染まりやすい性格なので、普段見ている人間の影響も受けやすい分、あまり我が強くない人間を見たり、傍にいた方が、相手を通して自分が見えやすいなと感じたりもしました。自分自身が弱々しいので、我が強い人間のそばにいると無でしかありませんでしたw

頭の中で解決できることは、それで良いと思います。そうじゃないものの方が重要だと感じるシーンが多く、なかなか堪えました。仕事もそうですが、図に乗りそうな時、私は何様だと問いかけ直すようにしようとも改めて思いました。過剰に謙虚になる必要はなくても、襟を正すのは大切ですね。

 

ちょっと真面目な記事になってる気がしますが、別にいつも通り、言いたいことはありません。きっとこれが真の備忘録というものなのでしょう。人に優しくいられればそれで良かったのにな。iPhoneの充電ケーブルがブチ壊れちゃった。買ってこよう。